2013年10月09日
日本語=お箸 んっ?
順調に自転車登校している代表 牛木です。
まなびばおきなわのHPのパンフを見ていただければわかるんですが、
まなびばは午前中必須科目ということで、私たち「まなびプランナー」が
生きていく上で必要で大事だと思っていることを科目としてあげてまなんでいます。
その中の一つに 語学 があります。たまたま、私が英語、インドネシア語、タイ語を
話すので、その知識、経験から一緒に語学をまなぼう!とやっているものです。
日本の英語教育は、大変残念なことに、本来の目的から大きく外れて、
受験のために・・・という捉えられ方を子どもたちにされているんじゃないでしょうか?
受験科目なので、ある程度そのためにやる部分は仕方がないとは思いますが、
あまりにももったいない。
私自身、初海外はオーストラリアへのワーキングホリデー一年間だったのですが、
最初は英語が全く理解できず、当然話せず、買い物程度さえ不自由していました。
しかし生活に慣れ、耳が慣れてくると、かなりの量の単語を理解できることに気が
つきました。そして、大まかですが、話している内容がわかるようになり、最終的には
ダイビングの学科講習を英語でし、笑いながら雑談が出来るようになりました。
実は、中、高校の六年間の英語教育で私たちはかなりの量をまなんでいます。
ただ残念なことに、実際に使うことを想定してのトレーニング時間が短すぎて、
運用することが出来るようにならないのです。さらに、テストの点数に反映させるために、
きっちり覚えていないといけない、文法等を正確に覚えなくてはいけない、が優先され、
アウトプット(話すこと)がとても少ないのです。
言葉なのですから、話す訓練をしなければならず、話す訓練(アウトプット)無しでは
当然話せるようになんかなりません。語学は、もちろん勉強として捉えなければならない
側面はありますが、使えなきゃ意味が無い!は大げさかもしれませんが、コミュニケーションの
道具の一つですから、本来の目的に立ち返る必要があります。
まなびばおきなわでの語学の時間は、
勉強としての英語→コミュニケーションの道具としての英語
という意識改革から始めます。子どもたちは、基本的に勉強は嫌いです。勉強としての英語は
なかなか進まない、やりません。ですから、勉強ではなく、道具の一つとして、上手くなくてもいいから
使ってみましょう、使えるようになりましょう!というスタンスで始めていきます。
その時の説明例として私が使うのが「お箸」です。
日本人にとってのお箸が日本語。幼少期から毎日のように使っているから、
今使えているはずです。日本語もこれと全く一緒です。
お箸だけでも十分食事は出来ます。でも、例えばスープを飲むとき、お箸ではうまく飲めません。
やれるとして、器を持ち上げて、口をつけて飲むという方法です。お箸は使っていません。
これがスプーンという道具があれば、スプーンでうまく飲むことが出来ます。
また、例えば厚いステーキを食べようとしたとき、切ることが出来ません。
お箸で持ち上げて、ステーキにそのまま噛り付くことは出来ますね。
これが、ナイフ、フォークが使えれば、切って口に運ぶことが出来ます。
例のように、このスプーンやナイフ、フォークが、英語やその他の言語という捉え方を
子どもたちには話して、如何に食事をするか?どのように文化に触れるかという入り方をしています。
ただの道具ですから、最初はもちろん使えません。
でも、下手でもいいから使っていればだんだんと慣れていき、そのうちお箸を使うみたいに
使えるようになります。
そう、うまくなくていいんです、最初は。下手くそでもいいからとにかく使ってみる。
そのうちきちんと使えるようになり、海外文化を深く味わえるようになります。
コミュニケーションの道具としての、語学、英語。
一緒に使ってみましょう!
まなびばおきなわのHPのパンフを見ていただければわかるんですが、
まなびばは午前中必須科目ということで、私たち「まなびプランナー」が
生きていく上で必要で大事だと思っていることを科目としてあげてまなんでいます。
その中の一つに 語学 があります。たまたま、私が英語、インドネシア語、タイ語を
話すので、その知識、経験から一緒に語学をまなぼう!とやっているものです。
日本の英語教育は、大変残念なことに、本来の目的から大きく外れて、
受験のために・・・という捉えられ方を子どもたちにされているんじゃないでしょうか?
受験科目なので、ある程度そのためにやる部分は仕方がないとは思いますが、
あまりにももったいない。
私自身、初海外はオーストラリアへのワーキングホリデー一年間だったのですが、
最初は英語が全く理解できず、当然話せず、買い物程度さえ不自由していました。
しかし生活に慣れ、耳が慣れてくると、かなりの量の単語を理解できることに気が
つきました。そして、大まかですが、話している内容がわかるようになり、最終的には
ダイビングの学科講習を英語でし、笑いながら雑談が出来るようになりました。
実は、中、高校の六年間の英語教育で私たちはかなりの量をまなんでいます。
ただ残念なことに、実際に使うことを想定してのトレーニング時間が短すぎて、
運用することが出来るようにならないのです。さらに、テストの点数に反映させるために、
きっちり覚えていないといけない、文法等を正確に覚えなくてはいけない、が優先され、
アウトプット(話すこと)がとても少ないのです。
言葉なのですから、話す訓練をしなければならず、話す訓練(アウトプット)無しでは
当然話せるようになんかなりません。語学は、もちろん勉強として捉えなければならない
側面はありますが、使えなきゃ意味が無い!は大げさかもしれませんが、コミュニケーションの
道具の一つですから、本来の目的に立ち返る必要があります。
まなびばおきなわでの語学の時間は、
勉強としての英語→コミュニケーションの道具としての英語
という意識改革から始めます。子どもたちは、基本的に勉強は嫌いです。勉強としての英語は
なかなか進まない、やりません。ですから、勉強ではなく、道具の一つとして、上手くなくてもいいから
使ってみましょう、使えるようになりましょう!というスタンスで始めていきます。
その時の説明例として私が使うのが「お箸」です。
日本人にとってのお箸が日本語。幼少期から毎日のように使っているから、
今使えているはずです。日本語もこれと全く一緒です。
お箸だけでも十分食事は出来ます。でも、例えばスープを飲むとき、お箸ではうまく飲めません。
やれるとして、器を持ち上げて、口をつけて飲むという方法です。お箸は使っていません。
これがスプーンという道具があれば、スプーンでうまく飲むことが出来ます。
また、例えば厚いステーキを食べようとしたとき、切ることが出来ません。
お箸で持ち上げて、ステーキにそのまま噛り付くことは出来ますね。
これが、ナイフ、フォークが使えれば、切って口に運ぶことが出来ます。
例のように、このスプーンやナイフ、フォークが、英語やその他の言語という捉え方を
子どもたちには話して、如何に食事をするか?どのように文化に触れるかという入り方をしています。
ただの道具ですから、最初はもちろん使えません。
でも、下手でもいいから使っていればだんだんと慣れていき、そのうちお箸を使うみたいに
使えるようになります。
そう、うまくなくていいんです、最初は。下手くそでもいいからとにかく使ってみる。
そのうちきちんと使えるようになり、海外文化を深く味わえるようになります。
コミュニケーションの道具としての、語学、英語。
一緒に使ってみましょう!